2006年3月アーカイブ

大型2輪

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バイク屋さんの小僧をしていた時は
どうしても必要だったので大型二輪なるもを試験場まで受けにいってました
個人的には2ストローク250に夢中だったのでいらなかったのですがね

あのころの広島は、合格率2%をほこる悪名高い地区でした。
「広島の試験場で中免取れたら、島根で大型もらえる」
なんて冗談を言っていたぐらいです。

毎週2回、朝早く滑走路の横を通っては自動車試験場に通いなが
ら、「なんでこんなに・・・」なんて口を呟きながら。

「欠かさず来ないと、合格が遅れるぞぉ」って言ったくせに、
「こんな雨の日に来るなって、安全意識低すぎ」だとぉ!

挙げ句の果てに実技試験終了後に管制タワーに呼ばれると
(当時は、イクオール、合格を意味してました)
「あーぱんださん18才か、若いね、もう2回ぐらい来てくれる」
ふっ、ふざけるなぁー!!
採点表見たら90越えてたぞ、合格ジャン、合格!

そんな時代のそんな県警相手になんとか手に入れた大型2輪
42回も試験場に通って手に入れた大型2輪

その5年ほど後に召し上げられてしまいました。orz
だから僕の免許は全て平成発行です。
なんで?今でも裏側が赤いスタンプ6個ぐらい押してある
古い免許を保管しています。みてみます?

今はお金を出せば取れるんだよね。
・・・

バイク、バイク、バイク

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実は高校時代から数年間、バイク屋の小僧さんをしてました
(本当に色々やってるよな、俺)

乗っていたバイクはこんな感じです。

MB5 ← すげーシンプルな空冷2スト 50cc
VT250F ← 本田最初の4スト型V2(だったはず)
DT200 ← 逆輸入の中古2ストシングル
MTX200R ← 一応オフだけど、ロードタイヤ履いてた。
 <・・・・ 事故って、半年入院 ・・・・>
RZ250(29L) ← 名車(に350のエンジンが・・・)
RZ250(1AR) ←  ↑の進化したやつ(のエンジンが350・・・)
 <・・・・ RZVを入手しようとして失敗 ・・・・>
ZXR400 ← (に600の・・・)
 <・・・・ RC30を入手しようとして失敗 ・・・・>
XJ750E ← 人からもらった、それでも7半!

あれ、なんか足りない気がするけど
まぁこんな感じで、ジャンルを問わずでしたね。

あれから長い、なが〜ぃ時を経て
2年ちょい前にD-TRACKERを購入

なんだ、モタードなんてかなり昔に俺が
MTXでやってたことじゃん。
なぁ〜んて にやり としながら、
通勤にとことこと使って満足していたんだけどさ

でも去年、お友達がCB1300SFを買ったのを目の当たりにして
沸々と新たなる野望がわき起こってきている。
嫁からはかなりの牽制を喰らっている。
(すでに実家にちくられた)

ターゲットはVFR800かCB1300SB
年齢を考えると、今買っておかないとな。

どーするよ、俺

P.S.
今年は2年ぶりにモトクロスコースへ走りに行くつもり。

プログラミング

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プログラミングなんて久しくしていない。

これでもキャリアの最初の頃はasmでぶりぶり制御プログラムを
書いていたんですけどね、
○×銀行のATMとか、航空会社の自動チェックイン装置等々を。
(今でも時々実働中の機を見る事が、、、もう無いか)

転職する都度に、企画よりの仕事が増えてきて
最近では仕様を作ったりプロジェクトの管理をしたりで
自分が実開発なんて、とんとご縁がありません。

まぁ自分がやりたい方向には進んできているので
それはそれで良いのですが、
やっぱり寂しい。
ですよね。

なんで久しぶりに入門書を買ってみました。
Web/DBプログラミングのです。
PHP、はぁ、聞いた事あるんだけどねぇ
うぐぐ、Apacheのインストールで躓いてるし、
めんどくさいからって選んだWindowsベースなのに・・・
英語のドキュメント、読むのが大変だぞ、
知らない単語が多いから。
短いサンプルコードなのに、typoが多いぞ。

衰えを感じながらも
今年中にでも、なんかサイトが公開できないかな。
なんて、気の長い事を考えている。
これが年を取るという事なのかな。

よし、休憩終了!
がんばるぞ。

(ちなみにこれも、本当にやらなきゃ行けない事からの現実逃避ですorz)

里親会に行ってきました

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我孫子で開催される里親会に
のこのこと顔を出しに行ってきました。

11時から14時までという事なので、
9時半ぐらいに家を出発
首都高渋谷線は相変わらずの渋滞だけど
後はほぼほぼ、すいすい走れて
現地で少し迷ったけど、12時前に到着!
いるは、いるは、
犬やら猫やらだいたい30匹ぐらい

犬は飼えないんです。
本当は犬の方が断然好きなんだけどね。
心の中で呟きなら、
子犬方面には近づかないように、
視線も向けないように気を付けて
猫のコーナーへ

「あー、この白黒はインターネットに載ってたね」
「親と子猫2匹のセットも良いじゃん」
「でも、このキジトラも・・・」
ちょっと興奮気味の息子さんとやりとりの後
係の人に声を掛けて、大ショック!

「すいません、猫ちゃんは全部決まってしまいました。」
1時間遅れの到着では、遅いんだ・・・。
残念。

それでも猫じゃらしで、猫と遊びながら
ぶつくさ言ってる息子を引きずって
帰途についたとさ。

猫、飼うの?

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最近の我が家では猫飼いたい熱が蔓延

きっかけは、先々週にふらっと寄った
高島屋ガーデンアイランドでの出来事。

なんか庭もののおもしろいものないかなぁ〜?
そんなつもりで立ち寄っただけなんだけど、
息子がいつの間にかペットショップのショーウィンドウに
へばりつき。
あの、中で子犬やら子猫やらがウロウロしている奴ね。

気まぐれが重なって、
「あれ、抱かしてもらったら?」
と言ってしまったものだから、大変。

ぎこちない手つきで子猫を抱きながら、
顔が”いっちゃってます!”
完全に陶酔状態。

その時は反応が鈍かった嫁も後から、
「あのとき抱いてたら、離せなかったな・・・」
と、ぽつり

以来、夜はずっとこのページを眺めてる。
http://satoya-boshu.net/keisai/c.htm

春になったら、猫飼うか。

2006/03/15

こ、小泉さん?

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とあるサイトで見つけた
小泉純一郎氏によく似た犬の写真

小泉似の犬.jpgあれ?
みんなそう思いませんか



JM Resurrection

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MMORPGもしくはMMOFPSというジャンルに含まれるゲームで
JunkMetalという作品があった。

2003年後半にβテストが始まり、
2004年春にサービスイン、そして2005年夏にサービス終了
(詳しくは、http://mixi.jp/view_community.pl?id=5367

このゲームに出会った時は、この破綻しかけた性格だからこそ
適応できるバーチャル世界へのいざない。
そんな感じさえ受けたものだった。
それだけ特異なコンセプトを掲げたゲームだった。

しかし、当然のことながらそんなハードなコンセプトは、
万人に受けいられるものでは無く、
商業ベースの乗る事も叶わず、わずか1年と少々で
サービス終了することに。
eが■に押し切られてFMOを温存するためにというのは、
憶測の域を出るものではないが。

あれから半年が過ぎた今になって、
あのアドレナリンが吹き出す感覚を忘れられない人々による
サービス再開を求める署名活動が始まっている。
その数、現時点で1200少々

開発費用の回収までを考えるとどうしても万単位の課金された
アカウントが必要なのは想像に難くない。
数千という単位ではサーバーの運用費用やサポート人員の経費
すら捻出することもおぼつかないであろう。
実際、署名した人が”全員”長期の課金を保証するというわけでは
無いだろうし、ましては値上げに応じてくれる訳でもない。
こんな状況でサービスを再開される可能性があるのだろうか?
企業の論理として、100%”否”である・・・。
残念ながら。

それでもJunkMetalをもう一度やりたい。
そんな思いを叶えるためにはいったいどんな手段があるのだろうか。

それは、■eの保持している権利を無償貸与してもらう事を前提と
したボランタリーサーバーの運用という事ではないのだろうか。
まず最初に、最低限の運用を定義してみる。
次に必要なコストを初期と運用に分けて算出する。
そしてその費用(リスク)をどのように分散できるかを決める。
サービスのプロバイダー側もユーザー側も、なんの保証もできない
事を前提にである。

一部の元ユーザーから改良を求める声が上がっているが、
現時点での追加投資など以ての外であることを認識した上で。
こんな可能性を探る事は出来ないだろうか。

おじさんはシステムエンジニアです。
妻子がいるし仕事もあるので、決してコミットのレベルは高くは
無いのですが、サーバの運用のお手伝いぐらいは出来ると思います。

2006/03/08

30年間も

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いわゆる転勤族の家庭で育った。
だから小学校を卒業するまでに10回以上も引越をしている。(記憶にないのも含めて)

引越なんて慣れていたと言えば慣れていたのだが、それはそれ、せっかく仲良くなった
友達との別れは子供心にも悲しいものだった。
だから僕には幼なじみという人は一人もいない
東京にも、博多にも、神戸にも
大人になってから住んでいた辺りを訪ねてみた事はあるだけれど
誰一人とも顔を合わせる事など無かった

それでも、転々とするのはあまり良くないと考えてくれたのかそうでないのかは知らないが、
小5のころから親の地元、広島に定住して高校を卒業するまでの8年間を過ごす事が出来た。

その広島でバスケットボールを通じてよしみを結んできた連中5人が東京近辺に住んでいる。
一昨日そいつらと久しぶりに顔を合わせる機会に恵まれた。
中には10年ぶりなんて奴もいたけど、何でかわからないのだがそんな事なんて全く気にならない。
いきなりぶっちゃけた広島弁トーク爆裂。

小学校5年から数えると、もう知り合って30年もたつんだよね。

いったい何が言いたいのかわからないけれど、学生時代の友人てのは本当に貴重なんだなと
つくづく思う今日この頃です。

本当、こんな私と30年もおつき合い頂きありがとうございます。
今後もよろしくお願い致します。

そう、3月。

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今年も6分の1が過ぎてしまうスピード感の中
いよいよ来月から新しい職場に行く事になりそう。

技術畑を歩んできた僕は過去20年ぐらい、
いつでも男性30人女性2人
そんな男女比の職場ばかりで仕事をしてきたのだが、
今回はその比率が逆転する(らしい)

上海に活動拠点を移した大切な先輩に報告したら、
長い長い説教メールを頂戴し、
自重するようにとかなり真剣に心配されておられるようだ。
嫁もそのあたりはうれしそうではないようだ。
実は、実の父親からも、、、

僕ってそんなにエロそうなのかな。
”一件恐そう”ってなことを、
気安くなった後で言う人がいるのはいるんだけど。

こんな所で人を引き合いに出すのもなんなんだけど、
”よしきさん”よりはよっぽど、まっとうな人生を送っていると
自負しているのだが、、、
その辺、どうなんでしょうね。
どなたか客観的なご意見を頂けると、うれしいです。

2006/03/03

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