2005年9月アーカイブ

夜、12時を過ぎた頃に窓を開けて書き物をしていると
あぁ、風が涼しくなってきたなぁ、
夏もとうとう終わりか、と感じる。

夏はあんまり得意な方ではない。
実家の目の前がもろ海で、水着に着替えて堤防越えて、海にぼちゃん、
そのまま帰ってきて、庭先で水を浴びて座敷へ。
親戚には重宝されていたが、自分で好んで海へなんてことは無かった。

だから若い頃は、主にウインタースポーツを、、、
というわけでもなかった。
車で1時間も走れば、日本最南端の自然スキー場があるにも変わらず。

じゃぁ何をしてたかというと、バスケットボールか、バイクに乗っていた。
スキーは、なぜかテニス、ゴルフと共に3大ブルジョワスポーツとして、
僕の中では否定的な存在だったし。

そんなスキーを始めたのは、一人息子が6歳ぐらいのころだったかな
突然スキーをやりたいと言い出したからだった。
きっと、学校で誰かが自慢していたのが羨ましかったからだろうけど。

前々からスキーに行きたかった嫁は、早速ホテルを予約してくれた。
越後中里の端のスキー場、ホテル専用のようなコースとリフト2本ぐらい。
小さい子供と初心者のおやじ連れ家族にはちょうど良いをゲレンデだった。

子供の慣れるのの早いことには驚いた。
二日目には、すいすいと滑り降りる息子をコースの端で転げながら、
何度も何度も見送るはめになり、つくづく感じたものだった。

それ以来、フジテン日帰り1回、上越1泊、トマム3泊を我が家の基本とし、
とうとう昨シーズンはマイ・ブーツ&板を購入!にまで進化、
今シーズンもいくぜー!と意気込んでいたのに。

病を抱えながら、
仕事もしていないくせに、
好きなことだけは前向きに考えている。

神の手

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夕べ、何気なく見ていた番組で、彼のことを紹介していた。
神の手を持つ男”福島孝徳”

東京大学医学部から三井記念病院の脳神経外科部長をへて
日本から飛び出してしまい、アメリカへ去っていった天才外科医。

一言で言うと、昔気質の頑固な職人のような人なのだろう。
おのれの人生、その全てと引き替えに、培ってきた技術を生かし、
そして、それを後の世に伝えるために生きている。

彼の、その卓越した技術云々よりも、
そんな迫力ある生き方が、とてもすばらしく思える。

最近、癌で2度の手術を受けた。
そんな身だからこそ感じることができる、
一言一言が、あまりにも真摯で思いやりにあふれていることを、
テレビの画面越しにさえ。

そして残念に思う、そんな彼が出ていかなければならなかった祖国、
日本の医学界のことを。

日本人の繊細さ、それを思うに、もっと天才外科医と呼ばれる人材を
輩出できても良い気がする。
素人考えかも知れないが。

それを阻害している何か、組織の構造的な問題が、日本の医学界、
そして、教育機関それぞれにあるのではないか。

今時の病院、入院事情

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7月から2ヶ月近く入院していた。今も自宅療養中である。

きっかけは、近所にある虎ノ門病院  分院での診察。
ちょっと便に血が混じっていて、痔かな?
でもなんか他に問題があれば嫌だし、
ここって消化器でも評判良いみたいだから念のために
そんな軽い気持ちで診察を受けに行ったら、
その場で入院しろと医師に怒られた。

後に告げられる病名なんて、これっぽっちも頭に無く。

僕の人生で、これが4度目入院
今までは生き方が災いしてか、全て整形外科での範疇だった。
同じ病棟の人達はみな、
片足とか片腕が無いとか、折れているなんて事はあっても、
休憩室で煙草を吸いながら、お菓子を食べながら、看護婦さんの
評論とか、馬鹿話をして、病棟内を闊歩して、明るく元気いっぱい、
入院生活をエンジョイしている人達ばかりだった。

点滴とか、酸素ボンベとかを引きずって、よたよた歩いている人なんて
別の階、別の病棟、別の世界のはなし?そんな入院経験しかなかった
いままでは。

それが今回はひと味も二味も雰囲気が違う。
僕もいい年なんだけど、それでも若い、しかも圧倒的に。
で、やっぱりみんな元気がない。
虎ノ門病院って、肝臓ではNo1の病院、
だから 回りはほとんど肝臓がらみで、余計、元気がない。

でも僕が驚いた、ここで書きたいのはそんなことではない。
患者とか病気とかの治療を受ける側の違いじゃなくて、
病院のサービスレベルの違い、20年前に入院した時と比べての、
治療を施す側の違いについてだ。

入院して最初に思ったのが、病室が本当に綺麗。
建物が新しくて、トイレも各室にあって、なんて言うハードの話しでは無く、
掃除の人が何度も何度も来る。そして綺麗にモップをかけて行く。
シーツなんかも基本は週1回交換なんだけど、汚れていたら即交換してくれる。
思わず、こんなので儲かってるの?儲かるってのは言葉がまずいか、
赤字にはならないの?なんて余計な心配をしてしまうぐらい。

次に驚いたのは、僕がまだなんとか歩き回れる時の事。
中心静脈カテーテルからの栄養に頼って、ものを食べることの出来ない僕が、
よたよたと 売店に飲み物を買いに行く途中のこと、
医師とすれ違った。すると医師の方が患者の僕に道をゆずる。
えぇっ?決して若い医師じゃない、それも一人だけじゃない。
見回してみると、ほとんどの医師が患者に道を譲っている。
胸を張って、廊下の真ん中を闊歩している。
そんな僕の医師に対する考えを大きく揺さぶる出来事だった。
まぁ 普通のサービス業であれば、極々当たり前のことなんだけどね。

でも一番、一番感心したのは、もっともっと目立たない事だった。
患者に対して治療だけではなく、時には精神面でも支えてくれる看護師さん達、
彼女たちが、なんと言ったらよいのだろう、とっても落ち着いている。

何が違うのだろうか?
以前のような過酷なシフトとか休暇が取れないなんて事も無いようだし、
きっと目に付き易い人件費とかだけで判断するわけではなくて、
離職率が高いと増大する教育や求人にかかる費用、サービスレベルの
維持の費用のような部分にまで視点を持って行った、総合的な労務の
進歩というものがあるような気がする。

普段身近にいる彼女たちがこんな風に精神的に安定しているということは、
治療を受ける側としては、ストレスを感じにくく、安心感があって、非常に良い。

これが20年の医療全体の進歩なのか、田舎の病院との違いなのか、
はたまた虎ノ門病院が取りわけ、すばらしい病院なのか、
僕には正確に判断する術がないのでわからない。が、

ただ、もっと近所にある、高津駅前の某大学付属病院、
外来に何度も行ったけど、その時の経験、病院の雰囲気、医師の態度を
思い浮かべると、そこに安心して行ける?と問われると、、

うーん、ちょっと無理かなと感じている。

ちなみに僕はサービス業に従事しているので、このあたりの考え方には
それなりの見識があると思っているし、かなり細かい所を見ているつもりである。

20年目

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色々と書いていると、やたらと20年というキーワードが出てくる。

そう、今年は故郷広島を離れてちょうど20年目、
実年齢も40歳(前厄)、
成人になって20年、
色々な意味で節目の年なんだろうなと感じている。

とは言っても今年になって、ハナからそう考えていたわけではない。
20年ぶりに入院する事になってしまい、仕事も休む事になって、
ほんの少しだけ、色々と考える時間が出来たからなんだな。

”ステージⅢ”ってわかる人はわかると思うけど、結構ギリギリのところ
に立っていたみたいなんだ。実感は余り無かったんだけど。
医師にも「なんでこんなになるまで・・・」なんて、ドラマの中のような
台詞を投げかけられたりしてさ。

そんなわけで、病院のベットの中で何をするわけでもなく、
色々つながっているから自由には動き回れないので、
横になって時間を過ごす、
そんな日々がここ2ヶ月ほど続いていた。

そうするとまぁ、人って色々と考えるものなんだわな。
実際色々と考えちゃったよ。

7月は、「あー、死ぬんだなぁ」ってところを軸足にして、
8月は、整理のしようがない程、千々乱れた思考が、錯乱して、
9月は、少しずつ整理を初めて、文章にしてみようと思い始めた。
そんな時に森永卓郎さんの書いた本を一冊読んでみて、
今までの生き方を振り返ってみよう、
今からの生き方を落ち着いて考えてみよう。

そんな気になってくる、節目の年。
あー、本当、今からどんな20年を過ごそうか?

選挙に行ってみた?

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選挙権なるものを頂いて、はや20年が過ぎてしまった。
でも 実際、投票に行ったのって何度ぐらいなんだろう。

いつもいつも、ニュースを横目に行こうとは心がけているんだけど、
夜になってみるとすでに、選挙特番が盛り上げっていて、
あれ、今日だったのかと気付く事しばしば、
そして 国民の義務を果たしてないという気持ちにさいなまれる。

でもさすがに今回は、小泉首相の持って行き方が良かったのか
みんな、ワクワクしながら?投票日をまっていたんだよね、きっと。
投票率は67.51% (あれ、それでも3割は投票していないんだ)
小選挙区比例代表並立制になって以来の高投票率をマーク
僕もちゃんと行ってきましたよ。

自民党が勝つなぁ、勝つなぁとは思っていたんだけど、
まさかここまでとはね。怖いぐらいまでの自民圧勝。

民主党の岡田代表(当時)は、本当に勝てると思っていたのかな?
だとしたら、こんな読みの甘い人、こんな読みの甘い組織に
国の政を任せたくないと考えてしまうな。
まぁ、 自民党のおじいさん達も、さして変わりはないんだけどね。

ところで昭和44年の選挙から男性の投票率より女性の投票率
の方が上回っているって知っていました?

世の男性方、もう少し自分たちで自分の住んでいる国をなんとか
しようと考えませんか?
何をそんなに必死になって働いているの?

人生のエネルギーの使い方、間違っている人が多すぎ。

コンピューターの事かな

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私はかなりコンピューターに詳しい(気がする)

小学校の頃、TK-80と出会って以来のことだから、少なくともつきあいだけは長い。
TK-80? NECから出た、自分で組み立てるマイクロコンピューターキットのこと。
日本のパソコン文化の幕を開けた商品と言っていいのでは。

入力は16進、出力も7セグメントオンリー、後にキーボードI/Fなんかも追加されるけど
こんなものをプチプチしながら、楽しかったのが30年ぐらい前かな。

時々年寄りがさぁ、カセットテープがとか、8inchディスクがとか言ってるの、
聞いたことありませんか? パンチカードとか、紙テープってのも。

メモリが1MBで10,000円もしていた時代がなんてね、
そんな遠い昔じゃない気がするんですよ。
今年の春に買ったメモリ、1GBで9,000円ぐらいだったかな、
昔の価値で考えると、1,024万円・・・

そんなこんなで最近、組み立てるPCは10万円を目安にする事にしている。
それ以上だとオーバースペック、CPUの周波数を0..1あげるのに2〜3万は
使いたくないし、それ以下だと3年は使えない程度のマシンにしかならん。

今年もそろそろ1台、組み立てようかと目論んでいる。
全く、どんな構成にするのか考えていないけど、

コンセプトは64bitかな?となるとAMD?デュアルコアか?
オンラインゲームもやるので、グラフィックチップも1万円台のもので、
Intel以外のCPU、は、は、初めてなんです。

マザーボード、何にしようかな?

ワクワクするよね、こんな事考えていると。

この前、なんとPCデポが自宅の裏にできてしまったんだけどさ、
出来てしまったなんて失礼な物言いなのだが、
無用に警戒レベルが上がっているのは間違いない。

バスケットボールの本

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管理人は昔々、そう20年ぐらい前に高校生を教えていたんですよ。
いちおう、大会での審判もせっせとこなして、公認をめざそうかなぁ、
なんて 思いながら・・・。

色々コーチングの本も買ったりして、勉強もしたな。
昔は指導書と言っても吉井四郎先生の書いた本しか無くって、
バスケット指導全書なんて3部冊なんだけどさ、
一冊3〜4千円するの。
学生の身分では、かなり思い切らないとそれられなかった気がする。

でも生まれ育った地を離れて、遠くイギリスに行く事になってしまい。
彼の地ではバスケットボールする場が全然無くてね。
15年前に日本に戻ってきてからも、結構住むところが変わっていって、
土佐堀YMCA、某神戸造船所体育館、教育通販チーム、米RDBMS大手
とチームを転々としているうちに、
プレーの頻度も減って行きーの、歳は取りーので、
ぁ、それと決定的には体重がベスト+30kgという恐ろしい状況になりぃーので、
あーぁもうバスケできないなと諦めていたんだ。

今の会社に入った当時、本社は山口で体育館も完備、こ・これはと思ったのも
つかの間、東京に本部移転。
なんか木村って人がやたらバスケ馬鹿らしいよと噂で聞きはするものの、
仕事でまた海外へ。

やっと、やっとこさ昨年(2004)にチームを立ち上げると、浦島状態。
ルールもかなり変わってるし、オルタネイトポゼション?なんじゃそりゃ?

なんで、久しぶりに色々とバスケットの本を買ってみようかなと、アマゾンで
検索してみると、出てくるは、出てくるは、色々なのがあるは、あるは。

おもわず、5〜6冊程大人買いしてしまいましたは^^

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